父が亡くなって思うこと。

過去に何度か、実家の両親について書きました。

老々介護ではあるけれど、

週に3回のデイケアと、月に1回のショートステイ(10日ほど)を組み合わせて

なんとか二人で暮らしていけるようにサポートしていました。

その父が2023年1月に亡くなりました。

突然の入院

2022年12月半ばのある夜。

9時ごろに、母からの電話。

お父さんが転んで、足が痛いって言ってる。

足腰が弱くなっている父は、コケることが多くなっていました。

母も慣れていたので、「またコケてるわ」ぐらいに思っていたらしいのですが、

今回は痛くて歩けないよう。

かといっても、もう夜の9時を過ぎているし、開いている病院はない。

ベッドまではどうにか這って横になっているというので、

「明日、様子を見に行くから」と言って、電話を切りました。

次の日、実家を訪ねると、父が身体の片側(痛い方)を上にして寝ており

動かしたら痛いねん。動かされへん。歩かれへん。

と嘆いていました。

ケアマネージャーさんの助言もあり、

救急車を呼ぶことに。

コロナ患者数が急激に伸びていた年末でしたが、

救急車はすぐに来てくれ、

近くの病院に移動。

病院でレントゲンを撮った結果、大腿骨骨折

大腿骨骨折」と言えば、お年寄りが寝たきりになる原因の上位というイメージ。

それでなくても、父は食事とトイレ以外は、

ソファーかベッドで日がな一日うたた寝する生活。

しかし、行く末を案じる私と母に担当医が

昔は寝たきりになることが多かったですが、最近は、高齢者でもきっちり手術してリハビリすれば大丈夫ですよ!

と、力強く言ってくださった。

ということで、3日後に手術が決定。

しかし、コロナ患者急増の中、面接は禁止

会えたのは、手術の前後、1分ほど。

その時は、麻酔で朦朧としながらも、

えらい目におうた。

と、文句を言えるほどでした。

突然の死

先生いわく

明日からでも、徐々にリハビリを始めていきます。

ということでした。

しかし、電話で様子を聞いてみると、リハビリどころではないようでした。

父は、もともと「せん妄」が起こりやすい体質。

せん妄とは一種の意識精神障害で、高齢者に多く見られる病気です。
身体疾患や薬の影響など、何らかの理由で引き起こされます。

認知症と間違われることも・・・。

過去、3回受けたがん手術の際にも

自分で管を抜き、看護師を「泥棒」と罵り、幻想を見て怯えていました。

年末30日の夕方に、看護師さんから電話がかかってきて、

管を抜かないように手袋を買ってきてください

と言われ、介護道具を売っている店を探して買いに行ったこともありました。

食事も口からとることができず、点滴で栄養を入れていると言われました。

改善しなければ胃漏に移行するかもしれないとも・・・。

私が想像するに、せん妄で意識が朦朧とし、

自分がどこにいるのか、何をしているのか、周りの人間が誰なのか、

生きているのか、死んでいるのかもわからず、

生きようという気力も持てなかったのではないかと思います。

父は、自分の唾液かなにかの誤嚥が原因で肺炎になり、

入院から1か月後に亡くなりました。

病院のはからいで、

危篤状態になってから、少しだけ会うことができましたが、

声をかけても反応はなく、

酸素マスクの下で、息苦しそうにしている姿を見るだけになってしまいました。

もし、コロナ禍でなかったら

面会に行って、声をかけ、

ご飯を食べるのを手伝ったり、

ベッドを起こしてあげることができたのではないでしょうか。

そうすれば、誤嚥も防げて

もう少し長く生きることができたかもしれません。

すべて、「もしかしたら」の話ですが・・・。

父がどんな人だったのかがわかりません。

父が亡くなってからは、

お葬式だったり、市役所の各種届出だったり、

たくさんすることがあり、あたふたと過ぎていきました。

出会う人からお悔やみの言葉をもらい、

「大丈夫?」と声をかけていただきました。

時には、自分が親を亡くした時のことを思い出して涙ぐまれる方まで・・・。

でも、正直な所、悲しいとか、寂しいとかいう感情はあまりないのです。

不謹慎かもしれないけれど、「ほっとした」という思いの方が強い。

7年ほど前にひどいせん妄をおこしてから、

鬱の症状もでて、いつも胸がギュッとなって気分が落ち込んでいました。

毎月、心療内科に連れて行っていたけど、

あまり改善はしなかった。

だから、ここらへんでお迎えがきて、苦痛から解放されて

よかったような気もしています。

あくまでも、私の勝手な思いですが。

父は、おとなしく無口な人でした。

怒られた記憶はほとんどなく、

人生の岐路においてアドバイスをくれたこともありませんでした。

思い出すことと言えば、

子供の頃よく連れて行ってもらった裏山での虫取りぐらい。

旅行にもたくさん行ったけど、

父がどんなふうに楽しんでいたのか一向に思い出せない。

父が私の事をどう思っていたのか?

何を考えて生きていたのか?

幸せだったのか?

やりたいことはあったのか?

後悔することはなかったの?

お父さん、だめじゃん、もっと足跡残さないと・・・。

もっと、主張して、わがまま言って、思いっきり笑わないと!

思い出せないよ。

お父さんの表情が。

遺影に映る静かな微笑みしか思い出せないよ。

父はとても優しい父親で

反面教師的な存在ではない。

でも、もう少し私は違う親になろうと思う。

もう少し、愛情表現を上手にして、

もう少し、自分の思いを伝えて、

もう少し、「幸せである」ことを見せつけて、

もう少し、やりたいことを突き詰めて、

後悔は少なめに、でも、受け入れて。

私自身が、お父さんの足跡だから。

明日もがんばって生きていきます。

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