不注意で逝く。
父母の介護や死に目を目の当たりにすると、
自分の終活を考えることがある。
父方も母方も長生き家系で、なにもなければ自分も100歳まで生きかねない。
私は、一人息子が家族を持つ日を見ることができれば、いつ死んでもいいと思っている。
後悔することも、やりたいことも沢山あるけれど、それほど大した事ではない。
ただ、自分の生きたいように生きられなくなったら命を終えたい。
手遅れで逝く
というのも、父が還暦を過ぎてから3つの癌を患い、
手術は成功したものの、体力も気力もすっかり失ったのを見てきたから。
行きたくないデイサービスに連れていかれ、
毎回「早く帰りたい」と訴えていたショートステイ。
やりたいことも、食べたいものもなく、
ただただ、しんどい毎日。(と、私には見えた)
父はどう考えていたのかわからないけれど、
私は違う選択をしたいと思っている。
寿命があるので、そううまくはいかないかもしれないけど、
ひとつ方法を考えていた。それは、
手遅れで逝く。
息子が家族を持ち、
旦那が逝くのを見届け、
80歳を過ぎていたら、
たとえ身体に不調がでても、
病院には行かない。
血尿がでようが、手足がしびれようが、頭痛で苦しもうが
倒れるまで耐える。
そして、病院に運ばれた時には、こう言われる。
手遅れです。もって、あと1~2日。
「延命拒否」と一筆書いておけば、管につながれることもない。
こんなことを言うと、本当に病気で苦しんでいる人に怒られると思うけど、
80歳過ぎての話だから、許してほしい。
しかしこの方法、難点は苦痛を伴うことだ。
人生の最後に、苦痛に顔をゆがめる毎日を送るのは何とも忍びない気もする。
なんか、暗くなりそうだしなあ~。
不注意で逝く
そんなことをおぼろげに考えていると、
インスタでフォローしている「ウェブマダム」@webmadamfitさんの最近の投稿で
ユニークな逝き方があったので、書き留めておく。
元NHK体操のお姉さん。
現在、子供の体操教室経営であり、
シニアのチアリーディングチームをプロデュースしている
太刀山美樹さん。
ウェブマダムが彼女に「理想の逝き方」を聞いた時の答え。
「逝き方」の希望はなあに?
ああ、希望じゃなくって。もう現実路線として、「不注意」!
「ええ~~、なんで~~~」って感じ
「あれ~、いつの間に~」って感じ?
そうそうそう。「あれっ?ここどこ?」って思ったら天国!
爆笑している二人を見て、
うっかり不注意で死んでしまうって、「なんかいいかも」と思ってしまった。
死に方によっては、多くの人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
家族も突然の死を受け止められないかもしれない。
でも、自分でも想像していない死なので、そこのところは許してほしい。
だって、「うっかり死ぬ」ということは、本人も「まさか、ここで死ぬ」とは思っていない死に方なのだ。
それだけ、「死ぬ」という事が遠くかけはなれた存在でなければできないことだ。
逆に言うと、「今」に集中して一生懸命に生きているからこそ、うっかり死ねる。
もしかしたら、ソファーからベッドに移動しようとして転倒してしまった父も、
お餅で喉をつまらせてしまったおじいちゃんも、
認知症で行方不明になってしまったおばあちゃんも、
毎日必死で生きているなかで、一瞬注意を怠ってしまっただけなのかもしれない。
そう思うと、はたからは意味のない時間と思える終末の人生も
色のついたものに見えてくる。
不注意で逝ける毎日を送りたい。