バケットリストNo.10「イギリスのネス湖を訪ねて、迷子の私を助けてくれたおじいさんを探す」理由。
今年の年頭に初めてバケットリスト(死ぬまでにやりたいことリスト)なるものを作ってみた。
その10番目に「イギリスのネス湖を訪ねて、迷子の私を助けてくれたおじいさんを探す」というのがある。
もう、30年も前の事なので記憶も曖昧なのだが、覚えていることを書いてみたいと思う。
イギリス傷心留学
1992年の10月。26歳の私はイギリスへと飛んだ。
その1年ほど前に、大学時代から6年間付き合っていた彼に好きな人ができてフラれたのが理由。
観光でも、語学勉強でもなく、正真正銘の傷心旅行。💔
その別れ方が壮絶だった。
別れを切り出された後も、別れたくない私と優柔不断な彼は(新しい彼女に隠れて)、ずるずると関係を続けてしまったのだ。
私は「私の愛が伝われば戻ってきてくれるかも」と淡い期待をいだいているし、彼は「無下に突き放したらかわいそう」(あくまで私の想像)と思ってなかなか決着がつかなかったのだ。
そのうち、「死んだら楽になる?」なんてバカなことを考え始める始末。
そんな関係が半年以上続き、私は「日本にいたら別れられない」と思って半年間のイギリス留学(遊学)を決意した。
しかし、なんと、私の決意を聞いた彼は、「俺も留学する」と言い出し、結局二人で飛行機に乗ってイギリスへ行くことに。(なんでやねん!)
一瞬、「新しい彼女から逃げて私とやり直すのか!?」と思ったが、それは違うようだった。(後に判明したのだが、彼はイギリスの骨董品を輸入するビジネスを視野にいれての留学だった。本当にひどい男だ。)
留学先の語学学校は別だったので、キングスクロス駅であっさりお別れ。😭
それ以来、その彼には会っていません。
こういう状況だったので、前向きな気持ち20%、自暴自棄な気持ち80%のイギリス留学となった。
しかし、あのまま日本にいたら変な気を起こしていたかもしれないので、結果的には行ってよかったと思ってる。
日本帰国前のスコットランド探訪
留学先にイギリスを選んだ理由は、ピーターラビットの絵本が好きだったから。
この留学以前にもピーターラビットが生まれた湖水地方を旅した。
初めてのイギリス旅行は見るものすべてが絵本から抜け出したような風景。
大好きになった。
さてさて、傷心留学も半年で資金が底をつき、いよいよ帰国という前にスコットランドを旅することにした。
往復バスチケットを手に入れていざ出発。
余談ですが、出発日当日の朝に38度の熱を出して病院へ。
事情を話し、とりあえず熱を下げる注射をたのんだ。
するとドクターはひとつの錠剤を取り出して熱弁をふるった。
この錠剤を呑んで3分後に爪を切る。切った爪にはこの薬の成分が検出されるんだ。それほど早く効くから注射なんかいらないさ!
今考えるとどうでもいい話だが、忘れられないエピソード。薬ってそんなに早く全身にいきわたるのか・・・。こわっ!
だけど、その薬は本当によく効いた。
夜行バスでは高熱でダラダラ汗をかいて爆睡し、朝にはケロッと治っていた。
とにもかくにもスコットランドの首都エディンバラに到着。
ネス湖まで足を伸ばし、名物おじいちゃんガイドと共にハイキングを楽しんだ。
エディンバラでの出会いと別れ
スコットランド最終日。
B&Bを10時に出てエディンバラ散策。
ロンドンに帰るバスの出発が夜の23時。
今ならスマホで色々情報が得られるが、当時私が情報源として持っていたのは「地球の歩き方イギリス」のみ。
あてもなく歩きまわり、夕方4時ごろには疲れはててバスターミナルに座り込んでいた。
そこに現れた一人のおじいさん。
もしかしたら、60代ぐらいだったのかもしれないが、26歳の私にはおじいさんに見えた。
どうしたんだい?何か困ったことでも?
いえ、大丈夫です。ロンドンに帰るバスが11時まで来ないから、ここで待ってるだけです。
11時なんて、まだまだじゃないか。こんなところで待っていると風邪をひくよ。私の家で待ったらどうだい?
はあ。ありがとう。
確かに3月のスコットランドはまだ寒い、ということで、おじいさんにトコトコ付いて行った。
「悪い人には見えないし、きっと家ではおばあさんが待っているのだろう。」と思っていた。
疲れたせいか、頭が働かず、おじいさんに言われるまま家に入る。
あまりよく覚えていないが、集合住宅のようなところだったような気がする。
おばあさんはおらず、一人暮らしのようだった。
こぎれいに片付いたその部屋には、日本人女性の写真がいくつか飾られていた。
みな、20代ぐらいで、振袖を着た女性もいた。
おじいさんは、日本が好きなこと、他にも日本人女性の知り合いがいること等を色々話してくれた。
そして、スパムのようなハムとビーンズといった、イギリスらしい食事を作ってくれた。
スコットランド訛りのせいもあって、会話内容をすべて聞き取れなかったが、とにかく日本が好きなことはわかった。
私がなにか言うたびに、「おー、それは素晴らしい」と言ってハグされた。
ほっぺにキスもたくさんされて、顔がベトベトになった。
決していやらしい感じではなかったのだけど、何度もハグされているうちに、「あ~。もしかしたら、私、殺されるのかなあ」と思ったり、「邦人女性ひとり旅で行方不明」という新聞の見出しが浮かんだり。
だって、20代の女性が見知らぬ男性の家で夜中に何度も抱きしめられているのだから、ついそう思ってしまうのも理解して欲しい。
でも、失恋からまだ立ち直っていなかった私は、抱きしめられながら「まあ、死ぬなら死ぬで、この苦しみ(失恋)から解放される」ぐらいに身を任せていた。
しかし、夜10時を過ぎると、おじいさんは私を元いたバスターミナルまで送ってくれ、そこでもたくさんのハグとキスをし、名残惜しそうにバスに乗せてくれた。
私は、この数時間の出来事が夢だったかのように、バスの背もたれに身をうずめた。
いつか、エディンバラに行くことがあれば、あのおじいさんを探して、ありがとうございましたと言いたい。
あの時は、自分のことでいっぱいで、おじいさんの優しさも孤独も何もわかっていなかったし、わかろうともしなかった。
名前も覚えていないので、おじいさんを探す手がかりは何もない。
しらみつぶしに「30年ほど前に、道行く日本人女性を親切に助けた年配の男性がいませんでしたか?」と聞いて回るしかない。
あの時、60歳だったなら、今は90歳か。
今も生きていれば、困った日本人を助け続けているのだろうか。
人間と人間が関わる中でとても美しい部分を見過ごしたような気がしてならない。
だから、私のバケットリストにいれた。
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